ブラインドサッカー女子日本代表強化指定選手 西山乃彩<にしやま・のあ>さん
「大きな目標は、チームを勝利に導けるような〝世界一の選手〟になること」
こう話すのは、ブラインドサッカーチーム「ブエンカンビオ横浜」の選手であり、女子日本代表の新戦力としても期待を集める西山乃彩さん。ブラインドサッカーは、視覚障がいのある選手が、目隠しを着用し、音の出るボールでプレーする競技です。西山さんは、2025年5月に大阪市で行われた国際大会で日本代表デビューし、優勝に貢献。同10月に開催された世界選手権にも出場し、日本の3位入賞につなげました。
西山さんは、目の小児がんである「網膜芽細胞腫<もうまくがさいぼうしゅ>」により、生後間もなく、右目が義眼になりました。左目も弱視で、現在、視野の9割が欠けています。
そんな西山さんが、サッカーを始めたのは4歳。近所のサッカースクールに入り、「ボールがないと生きていけない」というほど、夢中になりました。小中学校もサッカーを続け、やがて、女子サッカーの強豪校に高校進学します。そこでは、トップ選手が集まるAチームでのレギュラーを希望していましたが、実際に入ったのは控えの選手が集まるBチームでした。「右目が見えないことは、ハンディとは思っていませんでした。Aチームの試合に出られないのは、単純に自分が他の選手より下手だからだと思い、悔しさをバネに、がむしゃらに練習していました」と回想します。
しかし、その気持ちとは裏腹に、西山さんは、左目も徐々に視力が悪化。そのため、大学ではサッカーを断念し、フットサルを始めます。しかし、病気はさらに進行していきました。
「もうプレーできない」と西山さんは、フットサルを一度は諦<あきら>めました。しかし、プレーしていたチームメートの熱心な誘いのおかげで、再開しました。「チームメートが『楽しくやれればいいから』と、ずっと誘い続けてくれたおかげです」と振り返ります。
再びフットサルを始めた西山さんは、大学在学中、弱視の人がプレーするロービジョンフットサルも始めます。「やっぱり楽しい」という気持ちが湧きました。
西山さんは大学卒業後、自分の力を試そうとスペインに渡航。現地で健常者のフットサルチームに加入しました。シュート力や技術では絶対に負けない自信がありましたが、得られたものは、それ以上でした。「日本では、『見えないのにすごい』と言われて、同じ選手として見られていない感覚でした。しかし、スペインでは、自分の姿勢を見習ってくれている選手がいたり、一人の選手として受け入れてくれたりしたことで、自信が持てました」と明かします。
さらに西山さんは、25年に一時帰国した時、ブラインドサッカーと出合いました。ブラインドサッカーは、男子は全盲の選手しか参加できませんが、女子は競技人口なども考慮され、弱視の選手も参加できました。西山さんは、すぐに代表選手に選ばれ、活躍の場を広げることになりました。
ブラインドサッカーは現在、男子の代表チームのみがパラリンピック競技として採用されています。そこで、西山さんは、ある夢を描いています。「将来、女子もパラ競技として採用されることがあれば、必ず出場して優勝したい。ロービジョンフットサルも女子のチームがないので、自分が活躍して、少しでも女子選手を増やしたい」と。
「自分自身の活躍を通して、障がいがあっても、サッカーのように自分が好きなことに挑戦できると思ってもらえるよう頑張りたい」。西山さんのチャレンジが広がっていきます。
