「たくさんの人の応援で、ここまで走ってくることができた。来年の東京パラリンピックに出場し、結果を出して皆さんに恩返しをしたい」。こう語るのは、全盲のランナーとして2012年ロンドン・パラリンピックの陸上5000メートルで銅メダルを獲得した和田伸也さんです。42歳になった今も現役選手として活躍する和田さんは、3大会連続となる東京パラリンピックへの出場をかけて、11月7日からドバイで開幕する世界パラ陸上競技選手権に挑みます。
和田さんは、大阪生まれの大阪育ち。子どもの頃から野球やサッカーなどスポーツが大好きでした。中学・高校時代はラグビーに汗を流していましたが、高校2年生の時に網膜色素変性症<もうまくしきそへんせいしょう>と診断され、視力が悪化、大学3年生で全盲になりました。「自分がこの先どうなっていくのか不安はありました。でも、頑張って点字を覚えれば、何とかやっていけると思った」と当時を振り返ります。大好きなラグビーは断念し、学業に専念することを決意。同時にスポーツをすることからは完全に遠ざかってしまいました。
大学時代は点字や白杖<はくじょう>歩行の訓練に励み、習得した点字のスキルを生かして大学院を修了。その後、福祉の専門学校で点字を教える非常勤講師や障害者自立支援センターのピアカウンセラー勤務などを経て、大阪府視覚障害者福祉協会に就職します。配属された点字図書館では、点字製作の仕事にも携<たずさ>わるなど、充実した社会人生活を過ごしていました。
28歳になった06年、長らく運動から遠ざかっていた和田さんに、転機が訪れます。「運動不足の解消になれば」と、視覚障がい者と健常者がともに走るチーム「加茂川パートナーズ」(京都市)の練習に参加したのです。初めは、少しの距離でも疲れてしまい、筋肉痛で翌日の仕事にも影響が出るほどだったといいます。それでも、「走ることが楽しい」と感じ、体を動かす喜びを再確認するきっかけになりました。「走る感覚が懐<なつ>かしかった。目が見えなくても、風のにおいを感じながら走って、仲間とわいわいやって。それがとても心地よかった」と語ります。以後、和田さんは練習やトレーニングにのめり込み、めきめきと実力を付けます。翌07年に初めて出場したフルマラソンで、3時間7分25秒の好記録をマーク。さらに1年後には3時間を切り、国の強化選手に指定されるまでに成長したのです。
ロンドン・パラリンピックでの銅メダル獲得後も、華々しい活躍は続きます。16年リオデジャネイロ・パラリンピックでは、1500メートル、5000メートル、マラソンの3種目全てで入賞。さらに同年12月には、世界のトップランナーが集う健常者の大会である福岡国際マラソンに出場し、全盲ランナーとして初めての完走を果たしました。
躍進の一方で、競技と仕事の両立に難しさも感じていた和田さん。「ランナーとして自分の可能性を試したい」と、より競技に専念できる環境を求めて、昨年、長年勤めていた福祉協会を退職し、化学製品などを扱う専門商社の長瀬産業に転職。「会社のサポートもあり、毎日、思いきり練習をさせてもらえる環境になりました」と話す和田さんは、今年6月の日本パラ選手権では、大会新記録で優勝。今もなお記録を更新し続けられる秘訣<ひけつ>を聞くと、「環境が充実しているのはもちろん、今自分がやるべきこと、できることに集中して取り組む。そして、地道に継続していくことしかないですね」と笑顔で語ります。
和田さんは「今は東京パラリンピックでメダルを獲得するとの目標が、最大のモチベーションになっています。世界のレベルも上がっていますが、ライバルが強いほど自分は燃えるタイプなので、さらにレベルアップしたい」と意気軒昂<いきけんこう>です。意欲あふれる和田さんの、さらなる活躍に期待が高まります。