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点字こうめい No.91

<人間登場>

五輪、パラリンピックの〝二刀流〟めざす

弱視の競泳選手 石原愛依(いしはら・めい)さん

 「病気になっても挑戦し続けられるということを、私の泳ぎを通じて見てもらいたい」。こう話すのは、日本のアスリートがまだ誰も成し遂げていないオリンピック(五輪)とパラリンピックの両大会出場という〝二刀流〟をめざし、練習に励んでいる石原愛依さんです。石原さんは幼少から水泳を始め、小学生時代には世代別の全国大会で優勝。高校3年生の時に出場した世界ジュニア選手権では、200㍍個人メドレーと200㍍平泳ぎで銅メダルを獲得するなど、将来の五輪選手として嘱望されていました。

 その石原さんが、だんだん視野が狭くなる目の病気を発症したのは2021年秋。パリ五輪の出場を目標に大学で練習に励んでいた時に、突然視力に異変を感じ始めました。病院で精密検査を受けても原因は分からず、医師から「将来的に失明する可能性があり、視力が戻ることはない」と言われました。複数の病院でも検査を受けましたが、結果は同じ。「当時は落ち込んだのと同時に、病気がいつ進行するか分からないという怖さもありました。生活する上で不自由はありましたが、今は慣れてきました。病気はいまだに原因不明です」と語ります。

 家族や周りの人に迷惑をかけるかもしれないと、水泳をやめ、大学卒業後は会社員になろうと考えていた石原さん。そんな石原さんを救ったのが、周囲の人たちの言葉でした。大学の監督からは「泳ぐ、泳がないは別にして水泳部には所属しておいてほしい。単純に楽しく水泳してみたら」と言われました。また、父からは「もうちょっとだけ泳いでいる姿が見たい。パラリンピックもやってみたら」と言われました。こうした励ましを受け、「もう一度頑張ろう」と思うことができました。

 それから、石原さんは、少しずつ障がいと向き合いながら、競技に打ち込んでいきます。ただ、視界が狭くなったことで、今まで培(つちか)ってきた水泳の技術をもってしても、なかなか思うように泳げません。壁にぶつかってアザをつくったり、ターンに失敗してタイムロスをしたりすることも多くあったと言います。それでも石原さんは長年の感覚を頼りに、コースロープと平行に泳ぐ技術を身に付けました。また、目を閉じて泳いだり、壁までの距離を考えながら泳ぐなど、練習を重ねました。

 23年3月、初出場したパラ水泳の国内大会で、石原さんは日本新記録を樹立しました。「当初は、『元からいるパラ水泳の選手が嫌がるのではないか』などの心配や不安で、出るつもりはありませんでした。でも、試合が終わったら選手たちが声を掛けて歓迎してくれ、うれしかった」と話します。

 その後、石原さんは、弱視でも五輪に出場する選手がいることから、24年開催のパリ五輪、パラリンピック大会の両方への出場をめざすことに。しかし、五輪の代表選考会では、自己ベストにも届かず、代表入りを逃しました。さらに、パラリンピックは派遣標準タイムを切っていたものの、病気の原因が分からないことなどが支障となり、出場はかないませんでした。

 しかし、石原さんは全く諦めていません。次の目標である28年のロサンゼルス五輪大会への出場をめざしています。「病気になったから記録が出なくなったと思われたくない。だからこそ、五輪とパラの両大会で勝負し続けたい」
 石原さんは、「私がめざすことで、五輪選手とパラリンピックの選手の距離は縮まると思うし、自分が〝懸け橋〟になりたい」と語ります。誰もつかんだことがない、両大会出場への夢の実現に向け、石原さんは日々、自分自身と闘い続けています。