川畠成道<かわばた・なりみち>
私が音楽家の道を歩むことになったきっかけは、8歳の時に負った視覚障がいでした。祖父母と一緒に行った米国・ロサンゼルスへの海外旅行先で服用した風邪薬の副作用により、高熱と呼吸困難に陥<おちい>ってしまい、急きょ病院に運ばれました。診断名は、薬害が原因とされる「スティーブンス・ジョンソン・シンドローム」という難病でした。生存率5%の厳しい闘病の中、幸い一命は取り留めたものの、後遺症として視覚に障がいが残りました。視力は分厚いすりガラスを通して見ているような状態になりました。
当時、私よりも両親の方が思い悩んでいるようでした。「これから息子をどのように育てていけばいいのか」「将来、どんな職業に就<つ>けるのか」。両親が考えに考えた揚げ句、行き着いたのがバイオリンでした。父はバイオリン演奏の教師をしており、家庭内の一風景としてバイオリンが常にありましたが、音楽の厳しさを知っていた父は、それまで私に触らせることすらしませんでした。しかし、私が視覚障がいを負ったことで方針を変え、バイオリンを持たせてくれるようになりました。バイオリンと初めて出合った時の喜びは大きなもので、10歳からバイオリン奏者としての私の「第二の人生」が始まりました。
視力を悪くしてから、家の中の空気がどんよりと重かったのですが、私がバイオリンを弾くことによって、家族みんなが明るくなっていったのを覚えています。私自身も毎日、目標を持って生活できるようになり、バイオリンは唯一の希望となりました。
演奏できる喜びを感じながら練習し、どんどんレベルを上げていきました。もちろん、気持ちだけでプロになれるほど甘い世界ではありません。多くの挫折<ざせつ>も経験しましたが、「この道で生きていきたい」という強い思いを持って練習に励みました。そして26歳の時、デビューコンサートを行い、プロのバイオリニストになることができました。
バイオリンは演奏する人の生きざま全てが、音に表れてくる楽器だと思います。演奏する楽曲は同じであっても、奏者によって全く異なる〝個性〟が表現されます。それが魅力であり、難しさでもあります。私はバイオリンを始めてから40年以上たちますが、もっともっと深みを増した音楽表現をしたい。そのためには自分自身を磨き続けなくてはいけませんが、それは楽しみでもあります。
音楽活動を続ける中、さまざまな障がいがあることによって、演奏会に行きたくても行けない方がいることも知りました。そこで私は、障がいの有無に関わらず音楽を楽しんでいただけるよう、国内外でチャリティーコンサートや、福祉施設への訪問コンサートなどの活動を精力的に行っています。世の中を見ていると、障がい者と健常者を隔<へだ>てる精神的な垣根は、まだまだ高いと感じます。ここ数十年でだいぶ良い方向に変わってきているとは思いますが、この垣根をさらに取り払えるように、寄与することができればうれしいです。
バイオリンを弾くことは、私にとって人生そのものです。自分にバイオリンが与えられたことは運命だったのだろうと受け入れています。〝音の世界〟に生きている人間として、これからも多くの人に音楽の素晴らしさを伝えていきたいです。これは音楽に限ったことではなく、皆さんにも、生きていく上でずっと大切に関わっていくもの、共に歩んでいくものに出合っていただきたいと願っています。その存在が、あなたにとって大きな支えになると信じています。