「正直、パフォーマンスに白杖(はくじょう)は邪魔なんです。でも、視覚障がい者であることを理解してもらうために、あえて持ってダンスをしているんです。目が見えないということは、やりたいことを諦(あきら)める理由にはならない。障がいを必死で楽しんでいます」。こう語るのは、白杖を使った独自のパフォーマンスを披露するブレイクダンサー「MORIKO JAPAN(モリコ ジャパン)」として活動している森仁志さん(34歳)です。「ブレイクダンスを通じて誰も取り残さない社会へ」を目的に掲げ、イベントの企画運営事業やSNSによる情報発信事業などを展開するNPO法人「LEAVE NO ONE BEHIND(リーブ ノー ワン ビハインド)」の代表理事を務めています。2021年に開催された東京2020パラリンピックの閉会式や今年の「24時間テレビ47」などに出演し、活躍しています。
森さんが目の異変を感じるようになったのは幼少期の頃。夜暗くなると保育園に迎えに来る母の顔が認識できず、分かりませんでした。それから、つまずきやすくなったり、人とよくぶつかるようになったりと段々、いろいろなことが起こるようになりました。森さんの病気は、網膜疾患(もうまくしっかん)の一つで、暗い場所で目が見えにくくなる「夜盲」や、視野が狭くなる「視野狭窄(きょうさく)」、明るいのがまぶしくて見えにくい白内障などの症状が現れる進行性の難病「網膜色素変性症」です。特に夜盲の進行が早く、「少しずつ見えなくなってきて、自分が周りと違うことには気付いていましたが、何とかやれてましたね」と当時を振り返ります。
森さんがブレイクダンスを始めたのは中学生の時です。テレビで放映されていたブレイクダンスバトルを見たことがきっかけとなりました。サッカーや野球などのスポーツもやってみたものの、続けることはありませんでした。「ブレイクダンスを見た時、かっこいいし、目立ちそうだからやってみたいと思いました。他の人と違うことをしたかったのが大きかった」と話します。友人と共に独学でブレイクダンスを始めました。
大学時代、薬剤師の資格を取るために薬学部に進学しました。しかし、病気は徐々に進行しており、バドミントンやテニスなどの球技ができなくなってきました。「大学で友達とすれ違っても気付かないから、自分からあいさつできないことが増えてきて、知らないうちに無視しているみたいになっていました。結構、深刻な状況でしたが、それでも、薬剤師の国家試験には、何とか合格できたんですよ」と笑顔で語ります。
社会人となり、薬剤師としての仕事が始まった時、さらなる壁にぶち当たります。最初は、処方箋の字を読むのに少し時間がかかる程度でしたが、段々と薬の判別がつかなくなってきました。
その頃から白杖を持って通勤するようになった森さん。「白杖を持って通勤する前に周囲から『白杖を持ってくるな』など、差別的な言葉をかけられることもありました」と森さんは言います。しかし、森さんは「反骨精神全開で、むしろ白杖を使ってブレイクダンスをしよう」と思いつき、4年ほど前から〝白杖ダンサー〟としての活動を始めました。
現在、森さんの視野は全体の1〜2%が残っている程度で、見えている部分もモザイクがかかっているようにぼやけている状態ですが、国内外でのイベントで白杖ダンサーとして視覚障がい者への理解が深まるようにと活動に汗を流し、多くの観客を魅了しています。職場でも電話応対の部署で働き、ブレイクダンスと仕事の両立を図っています。
「白杖を使ったブレイクダンスを披露し、自分が有名になることで視覚障がい者への理解が深まればいいなと思います。病気や障がいを持っている人の希望になったらいいなと思います」と語る、森さんのさらなる活躍に注目です。
森さんは、ユーチューブチャンネル「MORIKO JAPAN/白杖ダンサー」を開設しています。