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点字こうめい No.87

<人間登場>
「やりたいこと」を全力で挑戦
ブラインドスケートボーダー 大内龍成(おおうち・りゅうせい)さん

 「すごいと言われることが多いけど、好きなことを全力でやっているだけなんです。普通に生活していても一人じゃ出来ないことばかり。でも、やってみたいと思うことには、思いっきり挑戦しています」。こう声を弾ませるのは、平日は鍼灸師として働き、休日は「ブラインドスケートボーダー」として活動している大内龍成さんです。白杖を使いながらスケボーを乗りこなす姿がSNSで話題になり、2022年5月には、「1分間で目隠しをして、前輪を先に浮かせてジャンプする基本のトリック(オーリー)を行った回数」と「目隠しをしてオーリーを行った連続回数」の2種目でギネス世界記録を樹立しました。

 大内さんは小学校1年生の時、学校の眼科検診で異常が認められ、大きな病院で精密検査を受けることに。医師からは「網膜色素変性症」と告げられました。徐々に視野が奪われ、紫外線を浴びるとさらに進行が早まるというもので、「視力はあったものの、視野が狭くなっていたり、色覚障害のような症状が出ていましたが、自分の中ではこれが普通だと言い聞かせていました」と当時を振り返ります。

 当時、剣道をしていた大内さん。試合でも活躍し結果を残していましたが、視野が狭くなるにつれて、勝てなくなっていきました。自分が情けないと感じるようになり、辞めようと思っていましたが、負けず嫌いな性格が功を奏し、「自分なりのやり方で勝てる方法を見つけよう」と考え方を変えました。「目は見えにくいが、耳は聞こえる。相手のすり足などの音をよく聞いて、動きを見極めればいいんじゃないか」と考え、稽古を重ねました。競り負けないために脚力も鍛え、再び勝てるようになった大内さん。「周りとのギャップは自分なりのやり方で埋められるかもしれないと思うようになったんです」と語ります。

 スケボーとの出合いは突然でした。中学3年生の時、一人でゲームセンターで遊んでいた大内さんは、そこで知り合った友人の家に行くと、スケボーがありました。「友人に勧められるがまま乗ってみると、おもしろくて一気にのめり込みました」と話します。大内さんは、スケボーをやりたいと両親に相談しますが猛反対。諦(あきら)めきれず、周りのスケートボーダーが使っていた古いスケボーの部品をもらい、自分で組み立てて練習していました。「スケボーを始めてから早起きするようになって、親に内緒でコソコソ練習していたんですけど、気付かれていて。そこまでするならと新品のスケボーを買ってくれました」と笑顔で語ります。

 高校2年生で視野の95%を失い、白杖を使うことを余儀なくされました。大好きだったスケボーもできる技が減り、断念しようとも考えました。しかし、ちょうどその頃、友人から米国には白杖を使うブラインドスケートボーダーがいると教わったことをきっかけに、「もう一回本気でやりたい」と決心。夜な夜な白杖を使って練習するようになりました。当時を大内さんは「あのとき友人が教えてくれなかったら、『ブラインドスケートボーダー・大内龍成』はいないと思います。親や友人、支えてくれた人たちには感謝してもしきれません」と語ります。ひたすら練習に汗を流した大内さんは、2019年11月に開催された国際大会のオープン部門に参加し、大勢の観客を沸かせるほどの実力を身につけました。

 「スケボーは僕の人生なので、一生涯やりたい。今は鍼灸師として雇われていますが、自分と同じような視覚障がい者のために会社を作ることが夢です」と語る大内さんの、今後の活躍に注目です。