目が見えなくても読書を自由に楽しめる社会をめざして、80年以上、点字図書や録音図書の製作・貸し出しサービスなどを行ってきた日本点字図書館。その一室には、日本文学史に名を連ねる作家ら1046人が残した1958通にも上る肉筆の手紙が、今も大切に保管されています。手紙の主は、ノーベル文学賞作家の川端康成をはじめ、司馬遼太郎や三島由紀夫、三浦綾子といった、そうそうたる顔ぶれ。手紙には「これからも盲人の方たちのお力になってあげてください」(井上ひさし)といった言葉がつづられ、作家たちの温かな思いが伝わってきます。同図書館を訪ね、手紙をめぐる背景やエピソードを取材しました。
■著作権と読書のバリアフリー
作家たちの手紙の消印は、1955~78年の日付。日本点字図書館にこうした貴重な手紙が残されている理由は、かつての著作権法にありました。
同法が1970年に改正されるまでの間、本の点訳や音声訳を行うには、著作権者の許諾が必要でした。このため同館では、長らくの間、点字図書や音声図書を製作する際、著作権者である作家ら一人一人に依頼文を送っていたのです。1958通の手紙は、こうした依頼に対する作家たちからの返信。依頼文と同封された郵便はがきに、つづられているものがほとんどです。
同館が送っていた依頼文には、単に点訳などの許可を求めるだけでなく、〝視覚障がい者の読書の世界について少しでも知ってほしい〟との気持ちがあふれていました。一部を引用します。
「完成の上は、この貴重な1冊が、本館を通して読書に飢え渇く多くの盲人の指先に、心からの感謝とよろこびとを以<もっ>て読み取られていくことでありましょう」「まことに『盲人は点字で眼が開く』ので、その感激がいかに大なるものであるかは、失明苦を知らぬ人には、想像も及ばぬ事柄であります」
70年の著作権法の改正により、著者に許諾を得る必要はなくなりましたが、同館はその後も数年間、録音図書の製作許可を求める手紙を出し続けました。その理由を同館の職員は、「あなたの著作が視覚障がい者の世界でも活用されていますよ、との啓蒙の意味もあったのではないか」と推察しています。
■「敬意を示します」と快諾
作家たちからの返信の手紙には、どんな言葉が、つづられていたのでしょうか。1枚ずつ透明な袋に入れて保管されている手紙を見せてもらうと、ほとんどの作家が、点訳や音訳を快く許可していたことが分かりました。
明治から大正期に活躍した作家では、武者小路実篤が「御手紙拝見 御役に立てばうれしく 元より印税のことなど御心配なく、御骨折りに敬意を示します」とつづり、谷崎潤一郎も「すべて承知しましたから宜<よろ>しきやうに御願いたします」と快諾。志賀直哉は、「点字のこと承知しました」とした上で、依頼のあった著作とは別に、「もう少し面白い短編を二つか三つ選ばれる方がいいと思ひます」と提案しています。
ノーベル文学賞の受賞作家では、川端康成が「承知いたしました」との言葉に続けて、「ただし、あれの版権はストックホルムのノーベル財団にあります。財団の承認を得て下さると幸いです」と補足。大江健三郎は「『個人的な体験』の件、承知いたしました。よろしく、御使用くださいますよう」と返信。戦後の日本文学を代表する三島由紀夫や安部公房も、それぞれに了承の旨を特徴的な筆跡でつづっています。
■ねぎらいや助言も
日本点字図書館の取り組みを、ねぎらうような手紙もありました。新田次郎は、「遠慮することなんか要りません。どんどん使ってください」と返信。山岡荘八は「盲<めし>いた方々のためにお役に立てて頂き却って御礼を申し上げます。(著作の)織田信長もどうぞお使い下さいませ」、五木寛之は「大変光栄に存じます。皆様のご尽力により、さらに多くの方に読んで頂けることを幸せに思います」と感謝の思いをにじませます。
進んで助言を行う作家もいました。『赤毛のアン』の翻訳者である村岡花子は、同シリーズの点訳について「異議ありません」とし、さらに「近く『ヘレン・ケラー伝』を出します。これもいかがかと存じます」と助言。小原秀雄は、音訳作業に配慮して著作の中にある誤植 20箇所を列挙し、「ひどい誤りは以上です。尚、不明の点はお問い合わせ下さいませ」と丁寧に返信していました。
一方、戦後の日本を代表する作家の松本清張は、いくつかの著作について了承したものの、『昭和史発掘』(全13巻)の点字化については「不許可」と返事。手紙には「理由。厖大<ぼうだい>な拙著の点字化を求めるのに、一片の機械的な刷りもので依頼されるのはあまりに非常識だからです」と書かれていました。
■1年半かけて整理
計1958通の手紙は全て、差出人の名前ごとに「あいうえお順」に整理され、日付や書かれている内容、関連する著作のタイトルなどがデータベース化されています。手掛けたのは、同図書館文化資料室の濱田幸子さんと、図書の貸出を担当している立花典子さんです。2020年の同館創立80周年の節目に合わせ、実に1年半の歳月をかけ、取りまとめ作業を行いました。「あまりに達筆で解読が難しい手紙もあった」と濱田さん。地道な作業を経て、手紙の存在は、多くの人に知られることとなりました。
自ら作業を志願したという立花さんは、「どんな手紙を残したのか、すごく興味がありました。1枚1枚の手紙から作家の個性が感じられ、想像がふくらみます」と語ります。濱田さんは、「誤植に注意を促したり、どの版のものを使えば良いかアドバイスしたりするような、親切な手紙も多かった。多くの人に知ってもらえたら、うれしいです」と話していました。
■「点字・録音図書の提供、これからも」立花明彦館長
作家たちが残した手紙について、日本点字図書館の立花明彦館長に聞きました。
Q 作家たちの手紙に、どんな印象を受けますか。
立花館長 多くの作家が、私たちの依頼を快く了解し、好意的に受け止めてくれたのだと感じます。本来であれば作家である自分が何とかしなければならないことだと、感謝の言葉まで送ってくれた作家もいました。
松本清張氏からは不許可の返信もありましたが、視覚障がい者の読書を取り巻く当時の時代を映し出していて、興味深いと感じました。不許可の理由はよく分かるのですが、一方で「松本さん自身は見えない人の存在、見えない人の読書を、どうお考えですか」と聞いてみたい気もします。当時の社会全体が、視覚障がい者の読書に対し、ほとんど考えが及んでいなかったのではないでしょうか。
Q 手紙は今後、どう活用しますか。
立花館長 この手紙は、文学と図書館情報学の二つの分野の研究で、大いに貢献する資料だと思います。文学面では、作家の人物像について、さまざまな示唆<しさ>を与える資料になるでしょう。また、図書館情報学の分野では、視覚障がい者の読書環境の歴史をたどる上で証拠資料になり得るものです。学術研究を中心に社会に還元していければと考えています。
手紙を見てみたいという文学ファンも大勢いると思います。大々的に公開したいところですが、実は手紙そのものにも著作権があり、残念ながら今すぐ一般公開することはできません。一つ一つハードルを越えていければと思います。
Q 視覚障がい者の読書について。
立花館長 読書をすることは、人が人であることの、ゆえんとも言えます。本を読んで知識を得て、その知識に基づいて思考力を高め、行動する。過去の人たちが得た知見を本によって確かめ、新たな行動を起こしていく。そういう意味で本は重要です。
だからこそ私たちはこれからも、点字、録音による図書をしっかり提供していきたい。しかし今、全国の点字図書館では、蔵書づくりを担うボランティアの人たちが不足するという課題に直面しています。国には人材確保へ、ライセンス化など補償面での支援の充実を求めたいです。