櫻井洋子(さくらい・ようこ)さん
「盲ろう者だから何もできないわけではない。ちょっと助けてもらえれば、何でもできるんです」。こう語るのは、障がい者と健常者が手話を共通語とした芝居やダンスを上演するNPO法人劇団「はーとふるはんど」の団員で、盲導犬と共に舞台に立つ櫻井洋子さんです。65歳になった今も、失意の底から救ってくれた「人生のパートナー」である盲導犬や、支えてくれる人たちへの感謝を胸に、同じような境遇の人へ困難と向き合い挑戦する勇気を届けるため、舞台に立ち続けています。
櫻井さんが視力と聴力が低下する難病「アッシャー症候群」と分かったのは 34歳の時。どの病院で診てもらっても、医師からは「いずれは失明します。治療法はありません」と告げられました。「気づかないうちに視野が狭くなっていて、不安とショックで絶望しかありませんでした。でも、周囲の人の励ましが支えになりました」と当時を振り返ります。45歳の時には、白杖<はくじょう>をついて東京都内の勤務先に向かっていた途中、駅のホームで走ってきた人に突き飛ばされ、ホームから転落。あばら骨を骨折するなどの大けがを負いました。
外出するのが怖くなり、家に引きこもるようになった櫻井さん。そんな時、夫から勧められたのが盲導犬でした。「犬は苦手でしたが、このままではいけないと、決心しました」と櫻井さん。訓練を重ねていくうちに心から信頼できるようになり、安心して外出もできるようになり、行動範囲も広がったと話します。
9年間を共に過ごした初代パートナーの「アンソニー」が引退すると、2代目パートナーになったのは、米国の盲導犬協会からやってきた白いシェパード「スカイ」です。櫻井さんの視力は、この時すでに明暗を識別できる程度まで低下し、両耳も補聴器なしでは聞こえなくなっていたと言います。
2016年春、大きな転機が訪れました。友人に誘われ、「はーとふるはんど」の舞台に足を運んだ時のこと。見ることはできなくても、補聴器越しに伝わってくるアットホームな雰囲気に胸を打たれ、演劇は未経験だったものの、「目が見えていた頃に母とよく、劇を見に行っていたことを思い出して、私も舞台に出て母を喜ばせたいと思いました」と、その日のうちに入団を願い出たのです。櫻井さんは一人で舞台に立つ予定でしたが、テレビドラマ「渡る世間は鬼ばかり」などのプロデューサーとしても知られ、「はーとふるはんど」の舞台監修を務める石井ふく子さんから「一緒に出たら?」と、盲導犬との共演を提案されました。「私以外の指示は聞かないから」と一度は断りましたが、盲導犬訓練士の「盲導犬はあなたの人生を応援するためにいる」との言葉で、一緒に出演することを決めました。「劇団の仲間が盲導犬に合わせて動こうと言ってくれたおかげで、スムーズに演じられるようになった」と語ります。
2020年6月、2代目パートナーのスカイが亡くなり、3代目のパートナーとして迎えたのが、ラブラドルレトリバーの「トリトン」です。昨年の東京パラリンピックで聖火のランナーに選出された櫻井さん。コロナ禍<か>で公道走行は中止となりましたが、代替<だいたい>リレーにトリトンと共に参加し、走り抜きました。
櫻井さんは「共生社会とは難しいことではありません。障がいがある人、ない人が手を取り合えばいいだけなんです」と訴えます。「何ごとも挑戦するのみ。挑戦しない失敗よりも、挑戦して失敗した方が爽<さわ>やかな気持ちになれる。舞台に来て『感動した』『勇気をもらえた』と言ってくれる人たちのためにも、もっともっと頑張ります」とトリトンをなでながら、笑顔で語ります。