長岡英司<ながおか・ひでじ>
私は1951年に東京で生まれました。幼い頃は弱視で、盲学校の中学部1年生のときに完全に失明しました。1960年代半ばのその当時、全盲者の読書手段は点字図書が主体で、オープンリール式テープの録音図書が少しずつ普及し始めていました。そして、墨字(点字ではない普通の文字)の読み書きは、全面的に他人に頼らなければなりませんでした。盲学校では、一部の科目で点字教科書がまだ調っていませんでしたが、そのような状況にあっても大学進学への関心が次第に高まりつつありました。私も、先生方の熱心な交渉によって、やっと実現した点字受験で、大学の数学科に進学しました。大学院修士課程まで学業を行えたのは、専門書の点訳や朗読をしてくださったボランティアの方々のおかげです。当時の点訳は紙に点を直接に打つものでしたから、電子化された現在の方法よりも一層骨の折れる作業でした。複雑な数式を忍耐強く点訳や対面朗読してくださった皆さまには、心から感謝するばかりです。
私が仕事に就<つ>いた1970年代半ばは、後にICT(情報通信技術)に発展した新しいテクノロジーが視覚障がい者のために活用され始めた時期です。テクノロジーによる恩恵を視覚障がい者の間に普及させる役割を果たしたのは、PC(パーソナルコンピューター)です。その大きな成果の一つが、全盲者の長年の夢だった、漢字を使って墨字の文書を独力で書くことの実現です。PCの画面表示を合成音声で読み上げる「スクリーンリーダ」という支援ソフトとワープロソフトが、漢字仮名交じりの文章を書けるようにしました。
点字もPCで読み書きできるようになりました。点訳ソフトと点字プリンタ、点字ディスプレイによって、それが実現しました。その結果、点字が電子データ化されて、紙に打たれた点字では避けられなかった不便から解放されました。少し遅れて、録音図書の世界でもデジタル化が進みました。デジタル方式の国際統一規格「デイジー」が普及し、PCやデジタル機器での録音や再生が可能になって、利便性が飛躍的に向上しました。
視覚障がい者のPC利用は、インターネットの普及と、それに伴う情報の電子データ化の進展を背景に、さらに広がりました。PCはネット上にある多彩な墨字情報を、音声や点字に変換して読むための便利な道具にもなりました。そして近年では、PCに加えてスマートフォン(スマホ)が、情報アクセス機器として視覚障がい者にも盛んに使われています。当初はタッチスクリーンによる操作への抵抗感から、視覚障がい者の利用は少なかったのですが、読み上げ機能の強化や便利なアプリの登場で、状況が変わりました。スマホでは、墨字をカメラでとらえて読み上げさせるアプリなどが盛んに利用されています。
私が6年前から勤務している社会福祉法人日本点字図書館は、視覚障がい者のための国内最大規模の情報提供施設です。幼くして失明した故・本間一夫が、1940年に25歳の若さで創立しました。当初は点字図書の製作と貸し出しを行っていましたが、1958年に録音図書の事業も始めました。現在では、点字図書も録音図書もすべてデジタル化されています。そして当館は、点字図書や録音図書などのデジタルデータを視覚障がい者がインターネットでダウンロードできる電子図書館「サピエ」のシステム管理も担<にな>っています。
目覚ましく変貌<へんぼう>した視覚障がい者の読書環境ですが、点字図書や録音図書のほとんどが今もボランティアの皆さまによって製作されています。そうしたボランティア活動に関心を持って新たに参加される方が近年減っていることが、とても気がかりです。いくら自動化技術が進歩しても、視覚障がい者が読みやすく理解しやすい図書の製作には、人の知性や感性の介在が欠かせないからです。