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点字こうめい No.84

<特集>
ランナーと伴走者つなぐ「絆」
普及から約40年 ブラインドマラソンの魅力に迫る

 視覚障がいがある人も、ない人も、走る楽しさを分かち合える「ブラインドマラソン」。パラリンピックの陸上競技種目でもあり、昨年夏の東京大会では道下美里<みちした・みさと>選手が金メダルを獲得するなど、日本人選手の活躍が光りました。一方、市民ランナー向けのブラインドマラソンの大会も各地で開催されており、関心を寄せる人が増えています。日本での普及から約40年、その魅力に迫りました。

■心とロープつないで走る


 ブラインドマラソンは、視覚障がいの度合いごとにクラス分けされていますが、大きくは単独走か、晴眼の伴走者と一緒に走るかに分かれます。ランナーと伴走者は、「絆<きずな>」の愛称で呼ばれる1本のガイドロープを互いに握り、声を掛け合いながら足並みをそろえて走ります。伴走者はランナーが走りやすいように、段差やカーブ、坂道などの視覚情報を的確に伝える役割があり、両者の呼吸がピタリと合うかが重要なポイントです。外に出るのもおっくうになりがちという視覚障がい者が、白杖<はくじょう>を置いて走り出すと、身体機能の向上だけでなく、たちまち爽快感や達成感を得ることができるといいます。一心同体で駆ける伴走者は、そんなランナーの喜びを隣で感じ取ることができ、二人の〝絆〟も深まっていきます。

 国内におけるブラインドマラソンのルーツは1983年、大阪府の長居陸上競技場で開催された「第1回全日本盲人健康マラソン大会」にあります。世界で初めて開催された視覚障がい者だけの大会で、170人以上のランナーが快走しました。この大会以降、「視覚に障がいがあってもマラソンを走ることができる」との機運が高まっていったのです。


 国内で競技の普及や伴走者の養成に取り組んできたのが、84年に設立された「日本ブラインドマラソン協会」です。同協会の原田清生<はらだすがお>事務局長は、「設立当初は視覚障がい者が長距離を走ることは一般的ではなく、ロードレース大会に出場を望んでも断られることが多くありました。今では、視覚に障がいがあっても楽しく走ることができるという活動の輪が広がり、パラリンピックで活躍するトップランナーも誕生しています」と話します。国際大会などでは、障がいの度合いによって伴走者が必須<ひっす>の「T11」クラス、伴走者と走るか単独で走るかを選択できる「T12」クラス、単独で走る「T13」クラスの三つのクラスに分かれており、伴走者が選手を引っ張ったり、選手より先にゴールしたりすると失格になります。


 同協会は、ランナーが走りたい時に自由に走ることのできる環境づくりをめざしていますが、そのためには、より多くの伴走ボランティアの協力が必要です。同協会や各地の愛好家グループが、ランナーと伴走者が定期的に集まって走る「練習会」を実施しており、原田事務局長は「協会のホームページで各地の練習会の情報を発信しているので、興味のある方は、ぜひ参加してみてください」と呼び掛けています。


■共にゴールへ「喜び分かち合える」


 今年3月、東京都北区の荒川河川敷で、「伴走」と書かれたゼッケン姿の男性が、隣を走る「盲人」と書かれたゼッケンを着た人に、盛んに声を掛けながらランニングする姿が見られました。視覚障がいのある高橋勇市<たかはしゆういち>さん(56)と、伴走者の村上和章<むらかみかずあき>さん(58)です。二人はほぼ毎日、10~20㌔の距離を、ロープを共に握りながら足並みをそろえて練習に励んでいます。この日も、「段差があります」「カーブ終わりました。しばらく直線です」といった村上さんの呼び掛けで、高橋さんは躍動感みなぎる、軽快な走りを見せていました。


 「伴走者と一緒に走ることで達成感を共に味わえる。喜びを分かち合えるのがブラインドマラソンの大きな魅力です」。こう笑顔で話す高橋さんは、2004年のアテネパラリンピック男子マラソンで金メダルに輝き、北京大会(08年)、ロンドン大会(12年)でも入賞するなど日本屈指の全盲ランナーです。高橋さんは高校2年生の時に、目の難病を宣告され、34歳で完全に失明しました。ブラインドマラソンを始めたきっかけは1996年、アトランタ大会で視覚障がい者の日本人選手が金メダルを獲得したのをラジオで知った時でした。「頑張れば自分も金メダルを取れるかもしれない」と一念発起し、猛練習した結果、04年には2時間37分43秒で当時の盲人マラソンの世界記録を樹立。その後の選考大会でアテネパラリンピックの切符をつかみました。現在はトライアスロンにも挑戦しており、2年後のパリ大会出場に向けて水泳や自転車のトレーニングにも励んでいます。


 本格的なトレーニングを始めて四半世紀近く経つ高橋さんですが、ブラインドマラソンを始めた当初、伴走者には不安があったそうです。しかし、「左に曲がります」「ここから上り坂になります」など的確な指示を出し、その通りに行動してくれる伴走者に対し、「信じてもいいんだ」と少しずつ前向きな気持ちに変わり、気付けば楽しく走ることができるようになりました。「伴走者は視覚障がい者にとって、目の役割を担<にな>ってくれる人。一緒に走ることで信頼関係を自然と築けるし、普通の友だち以上の特別な存在。だから、普段、人には言えないようなことも伴走者に打ち明けることもあります」と高橋さん。「練習終わりに、その日の反省会として伴走者と飲みに行ったり、温泉に行くのもモチベーションを高めるひそかな楽しみです」と笑顔で語りました。


■普通のマラソンにはない「二人で走る楽しさ」


 一方、伴走者の視点に立ってもブラインドマラソンの面白さが見えてきます。「高橋さんと一緒に走っていると楽しくて仕方がない」と話すのは伴走者の村上さん。村上さんは4年ほど前、共通の友人を通して高橋さんと知り合い、伴走者になりました。初めは高橋さんを転ばせてしまわないか心配だったそうですが、高橋さんが村上さんのリズムに合わせて走ることで、ほとんど苦労なく練習に励むことができています。普通のマラソンにはない〝二人で走る〟というブラインドマラソンの特長のおかげで、走りながら草花の香りや景色など、季節を共有でき、二人の会話が弾むことも魅力の一つだといいます。村上さんは「一人だったら苦しくて諦<あきら>めそうな時でも、隣で頑張っているランナーがいると自分も踏ん張ることができる。また、私たちにとっては何気ないことでも、目が見えない人にとっては不安につながることがあるということを、隣で走って初めて実感しました。伴走者は、視覚障がい者が安心して走れるような細かな指示が不可欠なので、丁寧<ていねい>な声掛けを心掛けています」と話しています。


 「ブラインドマラソンは走る気持ちさえあれば、いつでもどこでも気軽に始められるスポーツ」と高橋さんは話します。奥さんへのプロポーズも「同じ道を歩む人生の伴走者になってくれませんか」だったそうで、今も週末は奥さんの伴走でランニングに励んでいます。高橋さんは「視覚障がいがあるために家に閉じこもっている人もいるかもしれませんが、そんな人にこそブラインドマラソンをおすすめしたい。心も体も健康になれる最高の方法ですし、かけがえのない仲間が増えること間違いなしです」と訴えます。


 今では何でも語り合える仲の高橋さんと村上さん。二人は「視覚障がい者のランナーに対し、伴走者の数は少ない」と指摘します。ブラインドマラソンの魅力が、障がいの有無にかかわらずもっと多くの人に伝わることを願っています。


■記者が体験「伴走者の声が心の支え」


 村上さんに伴走をお願いし、目隠しをして荒川河川敷を走ってみました。学生時代は体育会系の部活に所属していたので、「走るだけだから大丈夫」と思っていたら大間違い。アイマスクを着けた瞬間、視覚を奪われる恐怖は想像以上です。どこに走って行くのか、歩行者や自転車はどこから来るのか、最初は腰が引けてしまい、なかなか一歩が踏み出せませんでした。ビクビクしながらなんとかロープを手に走り出すと、自転車とすれ違う時の風や、歩行者の足音にすら驚いてしまい心細い気持ちに。それでも、「ここから曲がります」「まっすぐ直進です」という村上さんの声が心の支えとなり、安定して走ることができました。途中、村上さんが走りやすいように歩幅や腕の振りを調節してくれ、数百㍍を無事に完走。疲労は距離の倍以上でしたが、伴走者との一体感を感じるとともに、フルマラソンを走る高橋さんの〝超人さ〟を、身をもって感じました。