「視覚障がい者も、助けてもらうばかりではなく、見える人と同じように地域社会に貢献できるし、力になれることが必ずある。そういう環境を築いていきたい」。こう語るのは、北海道視覚障害者福祉連合会会長で、函館視覚障害者福祉協議会の理事長を務める島信一朗さんです。普段は、函館視力障害センターなどで非常勤講師を務めながら、障がいの有無や社会的地位にかかわらず、全ての人が輝ける「インクルーシブ(包容)」社会の実現をめざし、日々、社会貢献活動に励んでいます。
島さんが視力を失ったのは、大学生だった21歳の時。車の自損事故が原因で、入院後2週間経った時に失明の宣告を受けました。「これからどうやって生きていけばいいのか、不安はありました。でも、歩行訓練士をはじめとする病院のスタッフのサポートや、友人からの励ましが大きな支えになりました」と当時を振り返ります。
「見えなくなっても、自立はできる」と、島さんは退院後、視覚障がい者を支援する大阪のライトハウスへ行くことを決めました。そこでの目標は三つ。点字とパソコン、そして白杖歩行の習得でした。「達成するまで北海道には帰らないと決めて行きましたが、3カ月で全て実現できました。一番大変だったのは点字でしたね」と笑顔で語ります。
その後、函館市にある国立の視力障害センターへ移り、はり・きゅうマッサージを学んだ島さんは、国家資格を取得後、同市内での自立生活をスタートさせます。マッサージ師として新たな生活を始めた島さんは、10年間仕事を続け、年間1000人の治療を行うことを目標にしました。その経験を生かし、今では同センターの非常勤講師として授業を行うまでになったのです。
2004年、島さんに大きな転機が訪れました。全盲の水泳選手を描いた映画「夢追いかけて」の単発上映会に参加した時のこと。そこには、見えない人も作品を楽しめるようにと、自費で音声ガイドを手作りする上映サークルのメンバーの姿があり、情熱に心を打たれたといいます。「見えない人、聞こえない人もみんなが一緒に楽しめる映画を作り、多くの方に知ってほしいという気持ちが強くなりました」と語ります。
06年、島さんを中心に企画した全国初となる「北海道ユニバーサル上映映画祭」を北斗市で開催。映画祭では、上映作すべてに日本語字幕を手作業で入れたほか、音声ガイド、音楽や背景音を絵や身ぶりで表現する「ミュージックサイン」を取り入れました。こうしたバリアフリーを推進する先進的な取り組みが認められ、16年に国土交通大臣表彰、翌年には内閣総理大臣表彰を受賞。島さんたちの取り組みは道内のみならず、全国的にも注目を集めました。「10年は頑張ろうと思ってスタートしましたが、13年も開催を続けることができました。開催当初、日本ではバリアフリーやユニバーサルデザインの概念は根付いていませんでしたが、少しずつ浸透していったように感じます」と手応えを語ります。
このほか島さんは19年に自身が掲げる理念や実践する取り組みを形に残そうと著書「インクルージョン」を刊行。大手通販サイト「アマゾン」のプリント・オン・デマンド(POD)で、個人出版した優秀な著書を表彰する「ネクパブPODアワード2020」の審査員特別賞を受賞しました。
現在、島さんは地元の函館市で、障がいの有無にかかわらず、一緒にスポーツを楽しむイベントなども積極的に開催。今後、市内に地域の人たちと障がいのある人が気軽に交流できる拠点を開設する予定です。「視覚障がい者が無料でマッサージしたり、子どもたちに点字を教えたりします。障がいに関係なく、地域の人たちがつながる『接点』をいかに生み出すか。これがインクルーシブのカギになると思っています」と笑顔で抱負を語ります。