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点字こうめい No.82

<特別寄稿>
人生百年時代の障がい者福祉
NPO法人高齢社会をよくする女性の会理事長
樋口恵子<ひぐちけいこ>


 私と障がい者との出会いは、いつも自然に生まれ、リスペクト(敬意)を持って展開されたことを、偶然のことながら幸せに思っています。

 最初は小学校に入学して三カ月ほどたったころ、私は寝支度<ねじたく>の整った布団<ふとん>の上で行儀悪く飛びはねて、母から小言を食<く>っていました。叱<しか>る母に私は、

「だって、あしたもまたAさんに会えると思うと、嬉<うれ>しくって仕方がないの」

 そのとき余計な注釈をつけず、「いいお友だちができてよかったわね」とさらりと流してくれたことを、母にしては上出来だったと思います。

 Aさんは、三歳のころ、ほうっておくと致死的な眼病に襲われ、緊急手術で一命を取り止め、片目が義眼、外貌<がいぼう>にも変化を残しました。絵画や音楽に秀<すぐ>れ、学科も成績上位、通学の道順も近く、私たちはすぐ仲よしになりました。もともと人間好きな私です。「あしたまたAさんに会える」と思うと、思わず飛びはねてしまったのです。今思うと、障がいがある人との理想的な出会いでした。つかず離れずのおつき合いで先年<せんねん>亡くなられましたが、父上が早世<そうせい>して苦しい家計の中から幼稚園教諭の資格を取り、生涯働き続けて自立し、ご家族と仲よく過ごされました。時々職場の講習会の講師に私を招いて下さいました。

 同じ小学校の才媛<さいえん>の一人は、思いがけずダウン症児の母となりました。健常な兄のあとの女の子、わが家の一人娘の同年です。身につまされて、声のかけようもありませんでした。やがて伝わってきた話は、夫君<ふくん>が「われわれは引き受ける力があるから与えられたのだよ」と妻を励ましたこと、姑<しゅうとめ>がひとことも嫁を責めず「この子も、おとなにならなくてはいけないのよ」と子育てを率先して手伝って下さったこと。障がい児を持てば不幸、と思い込んでいたわが身の卑少<ひしょう>さが恥ずかしくなりました。

 最近出会った障がい者の女性は、先天的な全失聴の方。大学院を出て大手ハイテク産業を勤め上げ、老境に入ったご両親と同居して暮らしておられます。

 「今、ろうろう介護がテーマです」と言われ、私はてっきりどの世界にもある、高齢者が高齢者を介護する「老老<ろうろう>介護」かと思いました。現実は、高齢者と耳の聞こえない「聾者<ろうしゃ>」の「老聾<ろうろう>介護」でした。

 長いあいだ、聴覚障がいがあるわが子の聴覚を補い、口の形などで意思を伝える役目を果たしてきた親たちに老いが訪れ、入れ歯になったり頰<ほお>の肉付きが変わったりして読み取りにくくなったこと、ご両親たちの聴覚が衰えて、新たな対応を迫られていること。

 障がいがある親子関係にも人生百年型の「老老」が進むがゆえの新たな課題が生じることを知りました。コロナ禍<か>が落ちついたら、私たちNPO法人高齢社会をよくする女性の会の勉強会のテーマにしたいと考えています。未曽有<みぞう>の超高齢社会。障がい者と共に生きるためには、変化の実態を正確につかむ必要があります。

 「昔に比べれば『親亡き後』の障がい者の福祉もずいぶん進みました」と六〇年以上「障がいがある子の母」として生きてきた友人たちは言います。そんな世の中を共に生きてきた一人として、まことにありがたい評価です。

 でも、世は少子化、家族の急激な減少社会です。日本の伝統では「親亡き後」の障がいがある子の老後は、その兄弟姉妹に託したものでした。しかし、今やきょうだいの少ない社会。一人二人しかいないきょうだいに責任を持たせるのは酷<こく>ですし、きょうだいは所詮同世代。衰える時期はいっしょです。「親亡き後」をごいっしょに考えたいと思います。私のところにも、「せっかくの成年後見人が重い医療行為の判断は下せない。親族でないと」というご相談が来ています。本格的な少子高齢社会の事実は時々刻々新たに展開します。

 そして、本格的な人生百年社会。私たちの多くは「障がい者」として人生を閉じます。これまで出会った障がい者から私はたくさんのことを学びました。それはすべて、ひとごとでなく「自分ごと」になる時代だからだ、とつくづく思っています。