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点字こうめい No.80

<特別寄稿>
配慮ある多様性に向けて

湯浅 誠(社会活動家・東京大学特任教授)

 私は、令和の時代的課題は「配慮」だと考えています。人と人がいかに配慮し合える関係を作れるか――それが、私たちがこれから数十年をかけて、メインで取り組むべき時代の課題だ、という意味です。そしてそれは障害者差別解消法に言う「合理的配慮」に通じています。障害者に対する合理的配慮が世の中に浸透するだけでなく、健常者同士の関係においても「あたりまえ」になる社会。それが私たちの目指す社会です。

 この数十年、社会は多様化し、多様性を受け入れてきました。「男だから」「女だから」と型にはめるように考えるのではなく、一人ひとりが違った特徴と個性をもった人間であることを認め合うことが大切という考え方に賛同する人が増えました。それは歓迎すべきことですが、同時に困難もあります。多様であることは、つながりにくくなることでもあるからです。それぞれが凸凹<おうとつ>のあるパズルのピースみたいなものだとしたら、お互いが真四角であるのに比べてはまりにくくなります。

 そのため、私は「安易な多様性礼讃<らいさん>は危うい」と言ってきました。「みんな違って、みんないい」と簡単に言ってしまうと、その「つながりにくさ」が見えなくなります。困難を直視しない称賛はもろい。むしろ「多様化する社会は、放っておくと細分化と分断を招く」と覚悟したほうがいい。それでこそ、その困難を乗り越えたときに見えてくる「共生」の価値をしみじみと味わうこともできます。共生とは、多様性のつながりにくさを徹底的に味わい尽くし、それと格闘し尽くした後にようやく立ち現れる世界です。多くの人が身命を賭<と>して、時代を賭して実現させるにふさわしい、それだけ困難なテーマに他なりません。

 そして、多様性のつながりにくさを克服する鍵が「配慮」だと考えています。障害者のみなさんには周知のことと思いますが、合理的配慮とは、道に点字ブロックを敷<し>いたり、段差にスロープをつけることだけを意味するわけではありません。それらはもちろん重要ですが、配慮は点字ブロックを敷けば完了というものではないはずです。「障害」と一括<ひとくく>りにせず、障害の多様さや一人ひとりが感じる困難に目を向け、寄り添ってほしいのではないでしょうか。それは「○○障害だからこうすればいい」と定型的に決まるものではなく、「あなたはどうしてほしいですか」とその人自身の意向を聞く姿勢を望ましいものと考えます。これが配慮の本質です。

 健常者が障害者に、大人が子どもに、夫が妻に、上司が部下に、その逆も含めてすべての人がすべての人に「あなたはどうしてほしいですか」と聞き合える関係があたりまえに作れるようになれば、「生きづらさ」を感じる人はいなくなります。「生きづらさ」とは、究極的には自分をちゃんと見てもらえない、気にかけてもらえない、配慮されていないと感じるところから生まれる感覚だからです。どうしても満員電車に乗れない人が、上司や同僚から叱責<しっせき>され、バカにされてばかりでは、その人はどれだけ仕事ができて高い給料をもらっていても生きづらさを感じるでしょう。「生きづらさ」は物質的なものだけでは決まりません。

 そして、誰もが生きづらさを感じなくてよい世の中は発展するでしょう。みんなが生き生きとそれぞれの力を最大限発揮することができるからです。それを「持続可能な開発・発展は、誰一人とりのこさない世界で実現できる」と謳<うた>ったのがSDGs<エスディージーズ>という、日本も含めた193カ国が合意して作った世界目標です。配慮が時代的課題だというのは、大げさな話ではありません。むしろ私は「あなたはどうしてほしいですか」と問うような日常的な営みが時代的・世界的に意味をもつ、また世界目標がこうした日常的な営みの積み重ねで成り立つ、という両者のつながりを、もっと多くの人がより真剣に意識することが大切ではないかと感じています。

 障害者への合理的配慮は、すべての人がお互いに配慮し合える関係づくりを通じて、誰一人とりのこさない世界の実現へとつながります。障害者のみなさんにはその先頭に立って、世界と私たちを引っ張っていただきたい、と期待しています。