「出会った人たちが笑顔で前向きになってくれる、そんな音楽を作っていきたい」。こう語るのは、盲目のシンガー・ソングライターとして活躍する堀内佳さん。トレードマークのサングラスに、アコースティックギターの弦<げん>を上から押しつけるように弾<ひ>く独特のスタイルが特徴です。学校関係を中心に全国各地で行う弾き語りコンサートは年間50本を超え、多くの子どもたちに勇気と希望を送り続けています。
1961年10月に高知県四万十<しまんと>市で生まれた堀内さんは、1歳の時、目のがんで両眼を摘出。5歳で親元を離れ、高知市内にある県立盲学校の幼稚部に入学しました。堀内さんは、母親が歌ってくれた子守歌や童謡、アイドルが好きだった姉の影響もあり、子どもの頃から音楽が大好きな少年でした。中学生の頃から、レコードなどの音だけを頼りに独学でギターを始めます。「当時はラジオから井上陽水や吉田拓郎などのフォークソングが毎日流れていて、憧<あこが>れました。ギターをやっている先輩が女の子にチヤホヤされていたので、『俺もうまく弾けたらモテるかも……』と大きな勘違<かんちが>いをしたのが始まりです」と笑いながら振り返ります。
16歳の時、高校の寮の仲間とバンド「エメラルド」を結成。最初はヒット曲のコピーが中心でしたが、次第に自分たちで曲作りもするように。「オリジナル曲を歌うようになってから、音楽は自分を主張するための大切な手段の一つなんだってことに気付きました」。一方で、音楽性の高さも注目されるようになり、アマチュアコンテストでの入賞や、ラジオの音楽番組にも出演。この頃が「自身の音楽活動の大きな出発点になった」と語ります。
盲学校を卒業し、22歳で土佐市の病院で鍼灸<しんきゅう>マッサージ師の道に。堀内さんは病院勤務の傍<かたわ>ら、大好きな音楽活動も精力的に続けました。鍼灸の仕事が充実する中、音楽活動も学校などからのコンサート依頼が増え、多忙を極めるようになっていきました。
「もっと音楽活動に専念したい」――。両立するのが難しいと感じた堀内さんは36歳の時に一念発起<ほっき>し、プロになることを決意。15年勤めた病院を退職し、シンガー・ソングライターとして本格的に活動をスタートさせました。
2005年にファーストアルバムを発表。コンサートは学校関係のほか、地域の祭りやイベントなどでも行い、活動の場を広げています。楽しく優しい語り口も好評で、約30年にわたってラジオパーソナリティーとしても活躍しています。
ところが08年、プロ10周年記念ツアーのファイナル直前に、悪性リンパ腫<しゅ>に侵<おか>されていることが発覚。半年間の闘病生活を乗り越えました。「生死を意識する病気を経験したことで、自分の命に対する考え方や、人への思いやり、感謝の気持ちの深さが大きく変わりました」。以来、コンサートを通して、子どもたちに「命の大切さ」を語り、歌声に込めることを心がけています。
そしてもう一つ、堀内さんが子どもたちに伝えることがあります。それは、「自己肯定をすること」です。「僕は母が遺<のこ>してくれた『人の幸不幸は、その人の心だけが決められるもの』という言葉を大切にしています。自分の可能性を信じて、いいところを見つけてほしい。僕は目が見えないけど、見えないからこそ〝見えた〟もの、感じられたものがたくさんある。普段、自分が幸せと感じる瞬間ってたくさんあるんです。だから、子どもたちにも、身近にある小さな幸せに気づいてもらえたら」と熱く語ります。
現在、57歳の堀内さん。今後の目標を聞くと、「僕は夢や目標はあまり考えないタイプなんです。将来どうなりたいか、というより、『今の小さな積み重ねが将来になる』という考えが強い。だから、目の前の一歩を大事にしながら、これからも頑張っていきたい」と力を込めます。さらなる高みへ、その活躍の舞台は、ますます広がっています。