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点字こうめい No.78

②<特別寄稿>
耳で笑わせる漫才、楽しんで

漫才コンビ ナイツ
(塙 宣之<はなわのぶゆき>さん、土屋伸之<つちやのぶゆき>さん)

 小学5年で千葉県から佐賀県に引っ越した時、ほぼ全盲のH君という子と仲良くなり、彼の家でごちそうになったり、盲学校の友達が増えたりしたことがありました。お笑い芸人になってからも、ほぼ全盲の芸人さんや、脳性まひのために足で手紙を書いて送ってくれたファンとの出会いがありました。一方で、重度の自閉症のお兄さんがいる友達もいて、家族で面倒を見るのが大変なときもあるそうです。その友達は、お兄さんの話を僕にすると気が楽になるみたいですが、そうした事情をよく知ることも大事だと思っています。


土屋
 僕は親戚に自閉症の子がいて、うちの子どもたちとも遊んでいますが、言葉を覚えるのが遅いなど、家族が不安を抱える中で育っていくのをずっと見てきました。けれども成長を見守る中で「パパ、ママ」と言えるようになり、皆で喜び合ったことなどは強く思い出に残っています。辛抱<しんぼう>強く向き合っていると、言葉は通じなくても心が通う瞬間があるので、僕も本当にその子が大好きだし、一緒に遊ぶ時間は癒<い>やされています。


 東京の伊豆大島では、耳が聞こえないTさんという男性に出会いました。僕はブログに短い漫才を書いていますが、彼がそれを面白いと話してくれたことがあり、そうやって文字で笑わせることもできるんだと思って、今でもブログを書いています。


土屋
 Tさんはテレビの音が聞こえない分、記事や文章で面白いことを探すのが楽しみのようでした。僕たちは言葉を使って笑いを届ける仕事をしていますが、視覚障がいの方も、聴覚障がいの方も、自閉症の方もいらっしゃるので、1回のコミュニケ―ションで伝わるということが当たり前と思わないで、人それぞれだということを忘れないようにしたいですね。


 僕は2000年に大学を卒業してすぐにバイク事故を起こし、手術の後遺症で片足が短くなっています。事故から1、2年は足が慣れなくて痛いし、つらいし、元通りになりたいと思っていたけれど、削ってしまった骨が伸びるわけもない。でも、ある日、「これと付き合うしかないんだな」と受け入れるようになって、それからは気にしなくなりました。

 ただ、事故に遭<あ>って出遅れているのに、事務所の当時の社長の考えで、浅草の漫才協会に入ることになってしまった。どんどん月日が過ぎて、同じ年代の芸人たちはテレビに出ているのに、自分たちはいつテレビに出られるんだろうと思っていた頃が一番大変でした。でも、浅草という今いる場所を大事にしようと思って、地に足を付けて頑張ったことで現在があるので、辞めないで良かったと実感しています。


土屋
 僕はお笑いに出合って性格も変わったし、人とコミュニケーションを取れるようにもなりました。お笑いに対して恩返しをしたいという気持ちがあって、それは、目の前のお客さんを喜ばせるということに尽きます。そういう場がある限り、頑張って舞台に立ち続けたいと思っています。


 今は、毎年やっている独演会に向けてネタを作っていきたいし、役者としても日本アカデミー賞の助演男優賞を取れるよう真剣に願っています。漫才協会を大きくして、後輩も育てていきたい。その上で、点字でボケるにはどうしたらいいかも知りたいですね。例えば、点が1個だけ、ぷにょっとするところがあるとか……。


土屋
 点が1個足りないとかね。僕たちの「言い間違い漫才」って、そういうことでしょうね。


 それでネタを作るのは難しそうですが、もともと僕らは耳で笑わせる漫才で、あまり動きもありません。目が不自由な方も浅草の東洋館<とうようかん>に来てもらって、ぜひ漫才を楽しんでほしいですね。


土屋
 僕たちはラジオのレギュラー番組を持っているし、CDも出しています。これを機に、お笑いに触れる機会が増えたら幸いです。いっぱい笑ってもらえるよう頑張ります。