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点字こうめい No.76


<特別寄稿>
みやげ話

       小説家 出久根達郎<でくねたつろう>

 「まがなしく日<ひ>を照<て>りかへす点字紙<てんじし>の文字打<もじう>たれつつ影<かげ>をなしゆく」

 美智子皇后<みちここうごう>がお若い時分<じぶん>に、日本点字図書館<にっぽんてんじとしょかん>をご訪問なされた時のことを、詠<よ>まれた御歌<みうた>である。

 「まがなしく」は「真愛<まかな>し」で、切ないほどいとしい意<い>、白い紙に次々と打ちだされる点字が、影を作っていくというのである。点字の凹凸<おうとつ>の影に着目された皇后様の感性がすばらしい。

 日本点字図書館を創設したのは、本間一夫<ほんまかずお>氏である。氏は独力<どくりょく>で私財を投じて造った。

 数年前、私は同館の依頼で創設者の伝記を講演した。本間一夫氏は大正四(一九一五)年お生まれのかたで、すでに故人である。私はお会いしたことはない。書物で知っているだけである(岩波新書で自伝『指と耳で読む』を出している)。

 しかし、チョッピリのご縁があった。

 図書館の開館は昭和十五(一九四〇)年だが(当時の名称は日本盲人図書館<にっぽんもうじんとしょかん>)、程<ほど>なく戦争となり、空襲を避けるため、図書や家財ごと東京を脱出した。疎開先は私の生地<せいち>の茨城県である。そして引っ越しの日付が、昭和十九(一九四四)年三月三十一日、私の誕生年月日なのである。

 もう一つ、ある。私の母方<ははかた>の祖父が視覚障害者なのだ。

 祖父は花火師<はなびし>だった。打上<うちあ>げに失敗し、目をやられた。完全に失明し、私がものごころついた時には、万年床<まんねんどこ>に一日中、座っていた。傍<かたわ>らに祖母がいて、何かと世話をしていた。祖父が立っている姿を見た覚えがない。

 小学生になって遊びに行くと、大きな声で、「誰が来たか」と問う。

「達郎です」と答える。「何をしに来た?」と訊<き>く。「遊びに」と答えると、「何をみやげに持ってきた?」

何を挨拶<あいさつ>代わりに持参したか、と必ず聞かれた。小学生に手みやげの才覚はない。

 すると、「手ぶらで来たのか?」と大声で怒鳴<どな>るように言う。

 祖母が小声で、「元気な声を聞かせにきた、と言いな」と知恵をつけてくれた。

私がその通りに言うと、「そうか。ここに来な」と招く。私は祖父の目の前まで行く。

 「近頃、面白いことがあったか。それとも、つまらないことがあったか。何でもいい、話してみろ」

 私は考えて、数日前、松ボックリでザリガニを釣<つ>った話をした。

 ザリガニは、スルメの切れ端で釣る。ところが私にはスルメを買う小遣いが無い。友達が釣り上げるのを、いつも傍らで見ているだけである。

 たまたま松ボックリが落ちていた。傘<かさ>が開<ひら>いていない青いやつである。所在なさに、それに凧糸<たこいと>を結びつけ、沼に沈め、あたかも釣り人のように適当に糸を上げ下げしていたら、とんでもなく大きなザリガニが松ボックリにしがみついていた。

 気を良くして再び水に入れたら、すぐに二匹目がかかった。これも大きい。友達が驚いて、「どうしたわけだろう?」と首をひねる。

 私にもわからない。友達の方は、さっぱり釣れない。私一人が大漁である。友達が松ボックリを十円で譲れ、と言う。

 「その松ボックリはどれ位<くらい>の大きさだ?」祖父が口を挟<はさ>んだ。私はこの位と手で示そうとして、声を飲んだ。祖父には、わからない。

「大きさを言葉で説明しろ。色もにおいもだ。それでこそ、みやげ話になる。わかったか?」

 私が長<ちょう>じて小説家になれたのは、祖父のこの一言があったからに違いない。考えてみれば、形の無い物を、あるように描写してみせるのが、小説家の仕事なのである。