「情報保障」を支える技術が進歩
音声で広がる障がい者の可能性
「点訳」と並び、視覚障がい者の読書や情報保障<じょうほうほしょう>を支えている「音訳<おんやく>」が、日本に誕生して60年がたちました。オープンリールから始まった録音図書製作に関連する技術は飛躍的に進み、パソコンやスマートフォン(スマホ)などを使えば、テキスト情報を合成音声が読み上げてくれるまでに。視覚障がい者の情報保障を支える音訳の現状と課題を探<さぐ>りました。
日本での音訳の始まりは、1957年に中目黒教会(東京・目黒区)の婦人部の方が、オープンリール式テープに本の朗読音声を録音したことが最初とされています。ただ、再生装置は扱いが難しく、日本点字図書館(東京・新宿区)の長岡英司館長は、「夜、聞きながら寝てしまい、布団<ふとん>が装置に触れたことで朝起きたらテープがグシャグシャになっていたこともあった」と振り返ります。70年代からはカセットテープが録音媒体<ばいたい>として使われるようになり、現在は「デイジー」という国際規格<こくさいきかく>のデジタル録音図書データをCDやSDカードなどに保存し、再生する方法が主流になっています。
これら録音技術の進歩によって、利用者の利便性も向上。「デイジー」規格で製作された録音図書は、章<しょう>や節<せつ>ごとに検索<けんさく>が可能となり、カセットテープの時に比べ、大量の音声データを持ち運べるようにもなりました。
これに伴い、録音図書を利用する人が増えています。日本点字図書館がシステムを管理するインターネット上で点字・録音図書を提供するサービス「サピエ」では、点字データのダウンロード数が約65万タイトルなのに対し、音声デイジーデータは約275万タイトル(2016年度、ともに延べ数)に上り、音声デイジーの利用率の高さがうかがえます。
日本点字図書館では、職員と音訳ボランティアが協力して録音図書を作っています。同館の職員が音訳ボランティアに本を渡し、下読みと読み方の下調べを依頼<いらい>。ボランティアは週に1回、同館にある2畳<じょう>ほどの広さの録音スタジオで、パソコンを使って少しずつ録音していきます。一冊の音声デイジー図書の製作期間はおよそ半年。語句の読み方の調整・読み上げ・録音作業だけでも3カ月程度かかるといいます。音声の収録後、デイジー編集作業を経て、デイジー図書が完成します。
ただ最近は、録音音声などのデータがインターネット上でやりとりできるようになり、時間と場所にしばられることなく、製作ができるようになったそうです。この作業は一冊につき、①読み上げ役②校正<こうせい>役③コーディネート(調整)役――の三つに分け、進行します。このシステムによって製作期間が大幅に短縮できたケースもあります。例えば、昨年、世間の注目を集めた村上春樹氏の「騎士団長<きしだんちょう>殺し」(全2巻)を1カ月で完成したといいます。
このほか、墨字<すみじ>の文字情報をテキストデータ化し、デイジー編集をすることで、合成音声による読み上げを聞くことができる「テキストデイジー図書」も作成されています。これは約1カ月で完成するといい、物語を味わうよりも、いち早く内容を知るのに適している方法です。
音訳作業は読み方のさじ加減<かげん>を誤<あやま>ると利用者には聞き取りにくくなるため、読みの技術も求められます。同館録音製作課の上野目玲子<かみのめ・れいこ>さんは、「感情を込めて読み上げると、本から受け取る印象を利用者に押しつける形になるため、大げさな表現はしないことが望<のぞ>ましい」と言います。一方で、一人のボランティアがどんな図書でも一定以上の技術で読めるようになるには5年程度の時間を要するそうです。
上野目さんは「平積<ひらづ>みされた本は、そのままでは多くの視覚障がい者は利用できません。一冊でも多くの録音図書を作りたいですが、職員の数が十分とは言えず現状では難しい。また、経験を積み重ねてきた音訳ボランティアの知識や技術を後につなげていくという課題にも直面しています。録音図書製作事業を継続していくためにも、若い人に音訳のことを知ってもらい、その輪に加わってもらえれば」と話します。
現代社会は文字に加え、映像などの視覚情報にあふれています。そのため“情報弱者”と言われる視覚障がい者には、点字や音声による情報保障が一層<いっそう>、求められています。
コンピューター画面に表示されるテキスト情報も、視覚障がい者にとっては重要な情報取得の手段となります。技術が進み、パソコンやスマホなどを使えば、インターネット上のテキスト情報も合成音声<ごうせいおんせい>が読み上げてくれるからです。
「画面読み上げソフトが、2002年にほぼ全盲となった私の社会復帰を後押ししてくれました」。こう語るのは、「NTTクラルティ株式会社」(東京都武蔵野市)で働く田中章仁<たなか・あきひと>さん(39)です。業務では、障がい者や高齢者が役立つポータルサイト(インターネット接続の際<さい>の入り口となるウェブサイト)の運営や、誰<だれ>でもインターネット上の情報を利用できるようにする「ウェブアクセシビリティー」の診断、研修などを行っています。
田中さんは、パソコン上のテキスト情報を音声化する「画面読み上げソフト」を活用し、メールでの連絡・問い合わせのほか、見積書の作成やプレゼンテーション資料を使った研修などの業務もスムーズにこなします。
また、パソコンやタブレット端末を使うことによって、視覚障がい者の日常生活も大きく変わります。新聞や広報の文字が読めなくても、インターネット上から情報をリアルタイムで得ることができるからです。買い物の際、視覚障がい者は店内で商品を見分<みわ>けることは難しいですが、インターネットを使えば、商品の特徴<とくちょう>や価格を検索して調べることも可能になります。田中さんは「私たちは遠くへ外出すること自体は困難ですが、こうした技術を使いこなせれば、見えないことをカバーできるようになり、技術革新で受ける恩恵<おんけい>は健常者よりも大きいと思います」と話します。
ただ、画面読み上げソフトにも限界があります。なかでも、視覚障がい者がインターネットを利用する上で、日本は欧米諸国に比べてホームページのバリアフリー化への配慮<はいりょ>が不十分だとの指摘があります。
たとえば、検索エンジンで知りたい情報のページまでたどり着いても、そこに書かれている情報量が多いと、画面読み上げソフトがテキストを読み上げてくれても、目的の内容が書かれている場所を探すのは大変です。そこで、見出しを立てて項目ごとに情報を整理したウェブページにする必要があります。また、「ごみ・資源収集カレンダー」などのような図表には、内容を説明した代替<だいたい>テキストがなければ、活用することはできません。
田中さんは「少しの工夫でウェブサイトの使いやすさは大きく変わります。ウェブアクセシビリティーへの配慮を義務付ける法整備を進めてもらいたい」と語っていました。