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点字こうめい No.75


<人間登場>
平昌パラリンピックでメダルめざす

  生徒に夢与える教師としても活躍
            スキーヤー・高村和人氏

 「自分が世界で活躍することで、子どもたちに夢と希望を与えたい」。こう語るのは、来年3月に行われる平昌<ピョンチャン>冬季パラリンピックでの活躍が期待される、視覚障がい者のスキーヤー・高村和人<たかむら・かずと>さん。高村さんは、岩手県立盛岡視覚支援学校で教師として教鞭<きょうべん>をとるかたわら、スキー選手として国内外の大会で活躍。夢の大舞台には、雪原のマラソンといわれる「クロスカントリー」と、それに射撃も組み合わさった「バイアスロン」で、初出場を狙います。

 1982年生まれ、秋田県仙北市出身。子どもの頃は、スポーツが大好きな活発な少年でした。視力に異変を感じたのは、小学5年生の時。野球をしていて、ボールを見失うようになります。病名は網膜色素変性症<もうまくしきそへんせいしょう>。次第に視力が落ちていく病気でした。中学に入ると、視力は急激に低下。「最初は、『何で俺なんだ?』っていう気持ちでした。できないことがだんだん増えていくし、将来のことを考えたら、明るいことが全然想像できなかった」と、当時の心境を振り返ります。

 16歳の時、普通の高校から視覚支援学校に転入。そこで、生涯の恩師と出会ったことが、高村さんの人生にとって大きな転機となりました。「その先生は全盲の方なんですが、全然それを感じさせない人だったんです。普通に家庭を持っていて、子育てもしている。健常者<けんじょうしゃ>、晴眼者<せいがんしゃ>と何も変わらない生活をされていることが、当時の自分にとっては衝撃的だったし、先生の言われる言葉の一言一言に重みがあった。大切なことをたくさん教えてもらいました」。恩師から、自分で限界を決めてはいけないと学んだ高村さん。見えなくても、自分の努力しだいで可能性はたくさんあると思えるように変わっていきました。その後、猛勉強を重ねた高村さんは努力が実り、26歳の時に母校へ教員となって帰ってきました。

 高村さんがスキーと出合ったのは、29歳だった6年前。同僚から勧められたのがきっかけでした。「最初は『ちょっと運動でもやろうかな』ぐらいの気持ちでした。それに、子どもの頃に目が悪くなり、途中でスポーツをやり切れなくなったという不完全燃焼の部分もあったので、どこかでもう一度、思いっ切りやってみたいという気持ちもあったのかもしれません」。

 手探りの状態からのスタートだったが、コツコツと練習していく中で、次第に技術は向上。「やるからには負けたくない」という、元来の負けず嫌<ぎら>いな性格もプラスになり、人一倍努力を重ね、練習に励んでいきました。すると、2015年のワールドカップで3位に入賞。さらに、昨年1月に行われたアジア大会では優勝を果たすなど大活躍、パラリンピックの代表候補に名乗りを上げるようになりました。

 高村さんの強さの秘密は、二人三脚で滑走<かっそう>するガイドとの固い信頼関係の下で、コースを徹底的に記憶する力にあります。視覚以外の手や足の感覚を研ぎ澄<す>まし、雪質<せっしつ>や、わずかな凸凹<おうとつ>までも記憶し、頭の中でイメージを完成させます。「最初に転んだ場所や、急激な上り、下りだったりと、どんどん頭の中に情報が集まっていくんです。最終的には、体で覚えるというか、自分の中での感覚としてのコース図ができあがるんです」。こうした地道な努力を積み重ね、実力を磨いてきた高村さん。『やれることをしっかりやる』との、あくなき執念<しゅうねん>と探究心<たんきゅうしん>を武器に戦ってきたことが、自信につながり、好成績を生んでいます。

 今後の目標は、パラリンピックに出場して、表彰台をめざしたいと熱く語る高村さん。でも、もう一つ想いが。「僕が世界の舞台で結果を出すことで、生徒たちに、いろんな可能性やチャンスがあるということを示したい」と。かつて、先生に教えてもらったように、コツコツと努力を続けていくことは、必ず自分の力になると信じるたくましさがにじみます。自らの生きざまで周囲に勇気と希望を与えていく高村さんの、さらなる活躍に期待が高まります。