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点字こうめい No.75


<特別寄稿>
「人生の『苦悩』の意味探り 貢献したい」

       福島智<ふくしま・さとし>・東京大学教授

 私は人生で2度、点字に救われました。

 1度目は全盲になった9歳の時。目で見る文字を失い、点字――六つの点で構成された文字を新たに得<え>ました。点字の本は漫画もイラストもなく、最初は寂<さび>しいと思いましたが、その分、文字に集中できるので、文字の世界に深く入っていけるようになりました。

 2度目は、耳も聞こえなくなって盲ろう者になった18歳の頃。この時、私が今も使っている「指点字<ゆびてんじ>」を母が考案しました。指点字は、点字タイプライターの六つのキーを打つ要領で、相手が私の左右の人差し指、中指、薬指の6本の指に触れ、言葉を伝えるというコミュニケーション手段です。本来は「書き言葉」である点字を「話し言葉」に応用したものといえます。点字がなければ、この指点字も生まれませんでした。

 目も耳も不自由な盲ろう者は、大変な極限状況の中で生きています。他の人とのコミュニケーションが困難であり、情報を得にくく、移動も難しい。これら三つの困難は、自らの努力だけでは乗り越えられません。従って、指点字やその他の方法で盲ろう者をサポートする通訳・介助者の存在が非常に重要です。私は盲ろう者として日本で初めて大学に進学し、世界で初めて常勤の大学教員となりました。しかし、これも文字通り「人の手」を借り、周りの支えがあって初めてできたことです。

 また私は、大学教員になったり、盲ろう者の福祉を進める上で、鍵<かぎ>を握<にぎ>る人たちとの出会いに不思議と恵まれました。最初は分かりませんでしたが、3人、4人と出会ううちに「これはただ事ではない。何ものかが私に何かをやれと言っているのではないか。多くの盲ろう者のために、できることをやらないといけない」と強く思うようになり、今に至っています。

 私の専門は「バリアフリー論」と「障害学」です。

 バリアフリー論について言えば、障がい者、高齢者の生活には、さまざまな「バリア」が立ちはだかっています。住宅や道路などの物質的なものから、目に見えない人々の心、法律、制度に存在するものまで多岐<たき>にわたりますが、バリアフリー論の研究では、これらの撤廃<てっぱい>をめざし、バリアの実態や関係性の解明に取り組んでいます。

 私が関心を寄せる障害学とは、「障がいの意味を考える」ということです。ここでいう障がいとは、人生における「苦悩」と置き換えてもいいでしょう。障がいや病気、災害などで大変な苦悩を経験した人にとって、苦悩はどのような意味を持つのか、あるいは、苦悩と共にどう生きていくのかなど、こうした問題について考えを深めたいと思っています。どちらかというと、哲学に近いのかもしれません。

 これは、社会的な配慮とは別の問題です。例えば、災害で家族を亡くした人に対して、生活再建は社会で支援できますが、失った家族を取り戻すことはできません。つまり、社会的な支えがあっても苦悩は消えないということです。

 ただ、世の中には、こうした消えない苦悩を否定的に捉え、運命を呪<のろ>いながら生きる人と、苦悩と共に生きて何とかやっていく人の大まかにいって二通りあります。私は、この違いが何なのかを探りたい。これまでの障がい者福祉は、マイナスの状態をゼロに近づけるという発想でしか語られてきませんでしたが、私はマイナスの経験を反転させてプラスにしていく生き方もあると思っています。しかし、それをもたらすものが何なのかという研究は、私が知る限り世界的にもありません。

 私たち盲ろう者は、いわば特殊な実験を図<はか>らずも人生をかけて受けているような状況です。しかし、そうした極限状況だからこそ、何か見えるものがあるのかもしれません。それが分かれば、苦悩を抱えた人の役に立つ知見<ちけん>が得られるはずです。障がいのあるなしを超えて、人が生きる意味を考える上で何か貢献できる研究を今後、さらに進めていく決意です。